著者
金丸 彰寿
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究委員会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要 = Journal of Kobe Shoin Women's University : JOKS (ISSN:2435290X)
巻号頁・発行日
no.1, pp.135-148, 2020-03-05

本稿では、社会福祉法人よさのうみ福祉会の理念と実践を分析することで、青年期・成人期以降における障害者の発達支援及び地域支援のあり方について検討した。よさのうみ福祉会は、「行政力」「地域力」「福祉力」の「三位一体」の取り組みを行っていた。そして、障害者の発達要求に基づいて発達支援及び地域支援が展開されていたことを明らかにした。発達支援は、なかま・職員・地域住民の連帯を通して、障害者の発達要求を地域の担い手として組織することである。地域づくりは、障害者と地域住民の要求を練り上げ、地域社会の民主的な連帯を支えるよう組織することである。この三位一体の取り組みの原動力になったのは、与謝の海養護学校づくり(1960 年代~)を継承・発展している、よさのうみ福祉会における地域福祉実践運動の蓄積であった。今後の課題は、「学びの作業所」や「専攻科」の実践と、よさのうみ福祉会の福祉支援における実践的な同異を探りつつ、発達要求に基づく障害者の発達支援及び地域支援のあり方をより精緻に検討することである。
著者
西川 純司
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究委員会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要 = Journal of Kobe Shoin Women's University : JOKS (ISSN:2435290X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-9, 2020-03-05

かつてミシェル・フーコーが「生命=史」(bio-histoire)と呼んだ、人類と医学的介入の関係の歴史を記述することは、現在においても重要な課題として残されている。本稿は、戦前日本のサナトリウム(結核療養所)で主に結核患者を対象に行われていた日光療法という医療実践の一端を明らかにするものである。とりわけ、正木不如丘(1887-1962)が行っていた医療実践を事例とすることで、近代日本の結核をめぐる「生命=史」の端緒を開く試みとしたい。 明治以降の近代化を社会的背景に、結核は人びとの生を脅かす伝染病として大正・昭和初期の社会で蔓延していた。そうしたなか、日光(紫外線)に結核菌を殺菌する作用があるということが発見されると、1920 年代半ばまでには日本においても日光の紫外線を利用するサナトリウムが見られるようになった。しかし、実地での治療は容易ではなかったことから、富士見高原療養所の正木は日光療法を行うための最適な条件―日光浴場の配置や構造、設備など―に細やかな注意を払う必要があった。また、日光療法の科学的根拠を発見することができなかったがゆえに、正木は苦悩しながら日光による治療を実践していた。
著者
作井 恵子 山内 啓子
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究委員会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要 = Journal of Kobe Shoin Women's University : JOKS (ISSN:2435290X)
巻号頁・発行日
no.1, pp.165-177, 2020-03-05

小学校において外国語科が教科となる2020 年が目前に迫る中、小学校教員は教科化についてどう考えるのか。教科化を肯定的にとらえる点およびその懸念点を自由記述によるアンケートとしてデータ収集したものを、頻度抽出語および共起ネットワークによるテキストマイニングの2 種類の方法で分析した。結果として、児童および教育的観点から教科化は好ましいと考えられる傾向があり、教科化は児童との肯定的な関係性が示唆される一方、教員の立場からは、教員の負担増、英語力不足、制度が万全とは言い難いなど、懸念項目は教員が要因である記述が多くみられた。この結果に基づき第2 言語習得の観点から英語教育に必要な研究および研修内容についての提言を示す。
著者
西川 純司
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究委員会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要 = Journal of Kobe Shoin Women's University : JOKS (ISSN:2435290X)
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-9, 2020-03-05

かつてミシェル・フーコーが「生命=史」(bio-histoire)と呼んだ、人類と医学的介入の関係の歴史を記述することは、現在においても重要な課題として残されている。本稿は、戦前日本のサナトリウム(結核療養所)で主に結核患者を対象に行われていた日光療法という医療実践の一端を明らかにするものである。とりわけ、正木不如丘(1887-1962)が行っていた医療実践を事例とすることで、近代日本の結核をめぐる「生命=史」の端緒を開く試みとしたい。 明治以降の近代化を社会的背景に、結核は人びとの生を脅かす伝染病として大正・昭和初期の社会で蔓延していた。そうしたなか、日光(紫外線)に結核菌を殺菌する作用があるということが発見されると、1920 年代半ばまでには日本においても日光の紫外線を利用するサナトリウムが見られるようになった。しかし、実地での治療は容易ではなかったことから、富士見高原療養所の正木は日光療法を行うための最適な条件―日光浴場の配置や構造、設備など―に細やかな注意を払う必要があった。また、日光療法の科学的根拠を発見することができなかったがゆえに、正木は苦悩しながら日光による治療を実践していた。